脳腫瘍における細胞接着とニッチ依存性シグナル
脳腫瘍細胞は、なぜ特定の場所で生き残り、増殖できるのか?
脳腫瘍細胞は、単独で増え続けるわけではありません。腫瘍細胞は、周囲の神経細胞、グリア細胞、血管、細胞外マトリックスなどからなる「脳内ニッチ」と相互作用しながら、生存・増殖・浸潤の性質を獲得していきます。
私たちは、脳腫瘍の悪性化を理解するうえで、腫瘍細胞そのものの遺伝子異常だけでなく、腫瘍細胞がどのような場所に存在し、どのような細胞外環境に接着し、そこからどのようなシグナルを受け取っているのかが重要であると考えています。
上衣腫モデルから見えてきた脳腫瘍の分子病態
上衣腫は、小児にも発生する代表的な脳腫瘍の一つです。近年、上衣腫は顕微鏡で見た形だけではなく、腫瘍がどの部位に発生したか、どのような融合遺伝子やエピゲノム異常をもつかによって分類されるようになりました。特にテント上上衣腫では、ZFTA融合陽性上衣腫やYAP1融合陽性上衣腫といった分子分類が重要になっています。
私たちはこれまで、ZFTA–RELAやYAP1ーMAMLD1融合遺伝子によって誘導される上衣腫マウスモデルの確立と解析に取り組んできました。このモデルにより、特定の融合遺伝子が脳内の細胞に導入されることで、実際に上衣腫様の腫瘍が形成されることを示し、上衣腫の発生機構を生体内で解析する基盤を作ってきました(Pajtler et al. Nat Commun 2019; Zheng et al. Cancer Discov 2021)。
このようなモデル研究は、上衣腫が単なる形態診断の対象ではなく、融合遺伝子、細胞起源、発生部位、エピゲノム状態によって理解されるべき疾患であることを示すうえで重要でした。現在のWHO分類でも、上衣腫は組織像だけでなく、分子異常と発生部位を統合して診断されるようになっており、こうした研究は脳腫瘍の分子分類の発展にも貢献しています。
腫瘍細胞は「どこにいるか」で性質を変える
私たちが現在注目しているのは、上衣腫細胞が脳内のどのような環境に依存して生きているのか、という問いです。腫瘍細胞は、周囲の細胞や細胞外マトリックスに接着することで、単に物理的な足場を得るだけではありません。接着を介して、細胞内に増殖や生存を促すシグナルが伝わる可能性があります。
特に、L1CAMのような細胞接着分子は、上衣腫を含む小児脳腫瘍の病態を理解するうえで重要な手がかりになります。L1CAMは神経発生や神経細胞の移動、軸索伸長にも関わる分子であり、脳の発生過程では細胞が正しい場所へ移動し、周囲の環境と相互作用するために使われます。腫瘍細胞は、このような発生期の接着分子を再利用することで、脳内環境に適応している可能性があります。
細胞接着からYAPシグナルへ
細胞接着は、細胞の形や位置を決めるだけではなく、細胞内の転写プログラムにも影響を与えます。たとえば、細胞がどのような硬さの環境にいるか、どの細胞外マトリックスに接着しているか、どれくらい周囲から力を受けているかといった情報は、YAP/TAZなどのメカノトランスダクション経路を介して核内の遺伝子発現へと変換されます。
私たちは、脳腫瘍細胞が細胞接着を通じて外部環境の情報を読み取り、それをYAPシグナルなどの細胞内プログラムへ変換することで、腫瘍としての生存や増殖に有利な状態を獲得するのではないかと考えています。
この視点では、脳腫瘍は「遺伝子異常をもつ細胞の塊」ではなく、「脳内環境に依存して成立する異常な細胞社会」として理解されます。腫瘍細胞がどのニッチに依存しているのか、その依存性を断ち切ることができるのかを明らかにすることは、新しい治療戦略につながる可能性があります。
私たちが目指すもの
私たちの研究室では、上衣腫をはじめとする小児脳腫瘍を対象に、細胞接着、細胞外マトリックス、血管周囲ニッチ、発生期シグナル、メカノトランスダクションを統合的に解析しています。
この研究では、マウスモデル、患者由来腫瘍モデル、組織イメージング、遺伝子操作、シングルセル解析、エピゲノム解析などを組み合わせます。学生の皆さんにとっては、神経発生学、がん生物学、細胞接着、細胞外環境、分子病理学が交差する研究テーマです。
脳腫瘍細胞は、なぜ特定の場所で生き残るのか。なぜ周囲の細胞や細胞外マトリックスとの接着が、腫瘍の増殖や治療抵抗性に関わるのか。発生期の接着分子は、なぜがんの中で再び使われるのか。
私たちは、これらの問いを通じて、脳腫瘍を「細胞と環境の相互作用」から理解し、新しい治療標的の発見を目指しています。