小児脳腫瘍における神経発生プログラムのハイジャック
「正常な脳の発生プログラムが、なぜ小児脳腫瘍を生み出すのか?」
小児脳腫瘍の多くは、発生途中の脳や小脳に由来します。発生期の神経細胞は、増殖し、移動し、分化し、やがて成熟した神経回路の一部になります。この一連の過程は、非常に精密に制御された「神経発生プログラム」によって進みます。
私たちは、小児脳腫瘍がこの神経発生プログラムをどのように利用し、あるいは歪めて、腫瘍として成長していくのかを研究しています。がんは単に遺伝子変異が蓄積した細胞の集まりではありません。特に小児脳腫瘍では、発生期の細胞が本来もっている増殖能力や分化能力が、エピゲノムの異常を介して再利用されることがあります。私たちはこの現象を、「神経発生プログラムのハイジャック」と捉えています。
発生の仕組みが、がんの力に変わる
Shiraishi et al. Dev Cell 2024 では、Sonic hedgehog 型髄芽腫の形成過程をエピゲノムの視点から解析しました。その結果、腫瘍細胞では正常な小脳発生で使われる転写因子群、とくに Nuclear Factor I family に属する NFIA/NFIB が、がん特異的に開いたクロマチン領域を利用して腫瘍の増殖に関わることが明らかになりました。

これは、発生期に重要な分子が、がんの中ではまったく別の文脈で使われることを意味します。つまり、腫瘍細胞は新しい仕組みをゼロから作るのではなく、もともと神経発生に備わっているプログラムを“乗っ取る”ことで成長している可能性があります。
分化できないことが、腫瘍を悪くする
一方、Wang et al. Cell Reports 2025 では、髄芽腫でみられるクロマチン制御因子 CHD7 や KMT2C の異常に注目しました。これらの分子の機能が失われると、腫瘍細胞は神経細胞へと分化するプログラムを十分に進められなくなります。特に NeuroD1 という神経分化に関わる転写因子の発現制御が乱れることが、腫瘍の進行に重要であることが示されました。
この結果は、腫瘍細胞が「増えすぎる」だけでなく、「本来進むべき分化の道に進めない」ことも、小児脳腫瘍の悪性化に関わることを示しています。逆に言えば、腫瘍細胞に眠っている分化プログラムを再び動かすことができれば、新しい治療戦略につながるかもしれません。
私たちが目指すもの
私たちの研究室では、小児脳腫瘍を「発生異常としてのがん」として理解することを目指しています。遺伝子変異だけでなく、細胞がどの発生段階にあるのか、どのエピゲノム状態にあるのか、どのような脳内環境に置かれているのかを統合的に調べることで、腫瘍細胞の本質に迫ります。
この研究では、マウスモデル、患者由来腫瘍モデル、シングルセル解析、エピゲノム解析、遺伝子操作技術などを組み合わせます。学生の皆さんにとっては、発生生物学、神経科学、がん生物学、ゲノム科学が交差する、とてもダイナミックな研究領域です。
小児脳腫瘍の研究は、まだわかっていないことが多く残されています。なぜ発生期の細胞は腫瘍になりやすいのか。なぜ一部の腫瘍細胞は分化できずに増え続けるのか。正常な神経発生の仕組みを理解することで、がんを止めることはできるのか。
私たちは、これらの問いに取り組みながら、小児脳腫瘍の新しい理解と治療法の開発を目指しています。
発生生物学、神経科学、がん研究、バイオインフォマティクスのいずれかに興味がある学生にとって、小児脳腫瘍は「正常な脳がどのように作られるか」と「その仕組みがどのように病気へ転じるか」を同時に学べる魅力的な研究テーマです。