神経活動による脳腫瘍の進展制御機構

神経活動は、脳腫瘍にとって単なる背景なのか、それとも腫瘍の運命を決める環境シグナルなのか?

脳は、絶えず活動している臓器です。神経細胞は電気信号を発し、神経伝達物質を放出し、周囲の細胞外環境を刻々と変化させています。脳腫瘍は、そのような動的な脳内環境の中で発生し、成長していきます。

私たちは、脳腫瘍を「脳の中に存在するがん」としてだけでなく、「神経活動や脳内環境の影響を受けながら進展する疾患」として理解しようとしています。神経活動は、腫瘍細胞にとって単なる背景ではありません。神経伝達物質、細胞外イオン、代謝状態、細胞内シグナルなどを介して、腫瘍細胞の増殖、分化、浸潤、治療抵抗性に影響する可能性があります。

神経活動は腫瘍細胞への環境シグナルである

神経活動によって変化する脳内環境は、腫瘍細胞にとって重要な情報源です。神経伝達物質や細胞外イオン環境の変化は、正常な脳の発生や神経回路形成に重要な役割を果たします。一方で、脳腫瘍細胞がこのような神経活動依存的なシグナルを利用することで、自らの増殖や生存に有利な状態を獲得する可能性があります。

特に小児脳腫瘍では、腫瘍細胞が発生期の神経細胞や神経前駆細胞に似た性質をもつことがあります。そのため、正常な神経発生で使われる環境シグナルが、腫瘍細胞によって再利用されている可能性があります。私たちは、神経活動に伴って変化する脳内環境が、小児脳腫瘍の増殖や細胞状態にどのような影響を与えるのかを研究しています。

興奮と抑制のバランスが腫瘍の振る舞いを変える

脳の神経回路は、興奮性入力と抑制性入力のバランスによって成り立っています。腫瘍細胞も、この神経回路の中でさまざまな影響を受けていると考えられます。

神経活動は、神経伝達物質や細胞外環境の変化を介して、腫瘍細胞の増殖や生存を促す場合があります。一方で、抑制性神経回路は、腫瘍細胞の活動状態や細胞内シグナルを抑え、腫瘍の進展を制御する可能性があります。

私たちは、脳腫瘍細胞が神経回路からどのような情報を受け取り、それをどのように細胞内シグナルへ変換しているのかを解析しています。カルシウムシグナルはその重要な指標の一つですが、私たちが注目しているのはカルシウムだけではありません。神経伝達物質、細胞外環境、代謝、細胞内シグナル、転写制御を含めた多層的な情報の流れを明らかにすることを目指しています。

神経活動からエピゲノムへ

神経活動による刺激は、一過性の変化として終わるとは限りません。腫瘍細胞が繰り返し神経活動の影響を受けることで、遺伝子発現やエピゲノム状態が変化し、より長期的な細胞状態の変化につながる可能性があります。

エピゲノムは、DNA配列を変えることなく遺伝子の働きを制御する仕組みです。腫瘍細胞は、神経活動による外部刺激をエピゲノム変化として統合し、増殖しやすい状態、分化しにくい状態、あるいは治療に抵抗性を示す状態へと変化する可能性があります。

私たちは、神経活動によって誘導される細胞内シグナルが、クロマチン構造やエンハンサー活性をどのように変化させるのかを解析しています。これにより、短時間の神経活動が、どのように腫瘍細胞の長期的な性質へと変換されるのかを明らかにしたいと考えています。

脳腫瘍を「神経回路の中の疾患」として理解する

これまでのがん研究では、腫瘍細胞の遺伝子変異や細胞内シグナルが主に解析されてきました。しかし脳腫瘍では、腫瘍細胞が神経回路、グリア細胞、血管、細胞外環境の中に組み込まれて存在しています。

そのため、脳腫瘍の本質を理解するためには、腫瘍細胞だけでなく、腫瘍細胞を取り巻く脳内環境を同時に理解する必要があります。私たちは、神経活動が腫瘍細胞の運命を決める重要な環境因子であると考え、神経回路と腫瘍細胞の相互作用を多角的に解析しています。

私たちが目指すもの

私たちの研究室では、マウス脳腫瘍モデル、患者由来腫瘍モデル、生体イメージング、神経活動操作、シングルセル解析、空間解析、エピゲノム解析を組み合わせ、神経活動が脳腫瘍の進展をどのように制御するのかを研究しています。

この研究は、神経科学、がん生物学、発生生物学、エピゲノム研究が交差する新しい領域です。学生の皆さんにとっては、神経回路の働きがどのように病気の進行に結びつくのかを、分子・細胞・組織・個体レベルで学べる研究テーマです。

脳腫瘍は、遺伝子異常だけで決まる病気ではありません。腫瘍細胞は、周囲の神経活動や脳内環境から情報を受け取り、その情報を細胞内シグナルやエピゲノム変化へと変換しながら、自らの性質を変えていきます。

私たちは、この「神経活動から腫瘍細胞状態への情報変換」を理解することで、脳腫瘍の新しい治療標的を見つけることを目指しています。

 

【プロジェクト関連の獲得研究費】

基盤研究A(2022-2024)

基盤研究A(2025-2027)